かがやき+1 平成25年3月
2013年3月23日

この「かがやき+1」では、子どもたちの姿を通して、保育者が、保育の中で感じたこと、考えていること、大切にしていることをお伝えしていきます。 今回は   

『60年の歩みを振り返って』

です。

今年度、長谷幼稚園は創立60周年を迎えました。60年の歩みを振り返りながら、一保育者としての自分の歩みも振り返る中で、ふと思い出された出来事があります。 今から、11年前、私が初めて長谷幼稚園を訪れた時のことです。当時、保育を学ぶ学生だった私は、初めて出会う長谷幼稚園の子どもたちが、どんな風に遊んでいるのか見てみたいと思っていました。その時は、ちょうどクラスごとに部屋の中で過ごしている時間で、私はあるクラスを見学していました。 すると私の存在に気づいた1人の子が、クラスの仲間に向かって、「あのおねえちゃん(私)のこと、なんてよぶ?」と問いかけました。すると、他の子どもたちも集まってきました。 「なんていうなまえなの?」 「◯◯ともこだよ」 「じゃ、ともこ、にする?」 「ともちゃんってよぶのは?」 それ以来、私は、子どもたちから「ともこ」や「ともちゃん」と呼ばれるようになりました。 その日まで、私は、子どもから名前で呼ばれたことがなく、教育実習先では、『先生』と呼ばれていましたし、それが当たり前だと思っていました。ところが、長谷幼稚園では、子どもだけでなく、保護者の方も、保育者同士も、保育者をあだ名で呼んでいて、そのことにとても驚きました。 後に、これは、子どもにとって、保育者の存在が、喜びや悲しみ、そしてひらめいたアイディアをスッと伝えることのできる、仲間のような存在でありたいと願っているからだと知り、自分の中にあった固定概念に気が付きました。 また、「あのおねえちゃんのこと、なんてよぶ?」という、子どもの一言にも、大変驚かされました。保育者の呼び名を、子どもが決めちゃうなんて!日々の生活の中でも、子どもから出てきたアイディアや思いが尊重され、みんなで考えてつくっていく経験がたくさんあり、それが積み重なっているからこそ自然に出てきた一言だと思ったのです。 長谷幼稚園では、毎朝、職員一同で保育前に誓いをたてるのですが、その中に「新機軸を探し求めます」という言葉があります。子どもと生活する中で、「当たり前になってしまっていることはないか」と意識して、原点に返り、新しいことを試みるのは、保育者にとって大切な姿勢のひとつだと思います。ただ新しいことをすればいい、というのではなく、その時、その時の子どもの姿から出発するということも大切だと思います。 長谷幼稚園では、今回お伝えした保育者の呼び名だけでなく、様々なところで、一から考え直したり、新しいことを試みたりしながら、去年と違う今年、今年と違う来年、と、60年の月日を積み重ねてきました。これからの日々も、子どもたちと、楽しみながら、新機軸を探し求める姿勢を大切に、歩んでいきたいと思っています。           H2503PLUS1003.jpg